「日本さくら名所100選」に選ばれる松川公園

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松川べりには、上流の磯部の布瀬橋から、いたち川合流点下流の宮下橋まで、右岸側・左岸側合わせて3.9km(左右どちらかに桜のある川の距離としては約2.5km)にわたり、ソメイヨシノが530本植えられています。市街地の真ん中に小さな川が流れ、その両岸に桜が植えられているという名所は全国的にもほとんどありません。松川公園は、高岡古城公園とともに、平成2年、「日本さくら名所100選」(公益財団法人日本さくらの会)に選ばれています。

松川上流の磯部の桜は、大正2(1913)年に大正天皇の御大典記念樹として植えられ、多くは昭和20(1945)年8月2日未明の富山大空襲でも焼けず、樹齢110年(2023年現在)。

また、旧8号線からいたち川合流点下流宮下橋までの桜は、松川が誕生した(※1) 昭和9(1934)年に植えられました(※2)が、昭和20(1945)年8月2日未明の富山大空襲により焼失したため、昭和25〜28年にかけて植えられたもので、樹齢は、70〜73年(2023年現在)を迎えています。
※桜橋のたもとの公衆トイレの市役所側(西側)の桜は1本だけ空襲で焼けなかった木だそうです。

富山市では、土壌改良や病害虫の除去などを行っています。

松川の美しい桜が末永く観賞できるよう、桜の根元を踏み固めないようにするなど、みんなで富山市の大切な財産を守りましょう。

 

※1 現在の松川の場所には、かつて広大な神通川が流れていましたが、度重なる洪水対策の為、馳越線(はせこしせん)工事が行われ、その後の洪水で神通川は現在のようにまっすぐ流れるようになりました。かつての流路には水が流れなくなり、街の発展を阻害していた為、富岩運河を掘った時に出た土砂で右岸側20mを残して埋め立てられました。その残った川が松川です。

※2 江戸時代、富山10代藩主前田利保(としやす)が、藩主の座を第6子の利友(としとも)に譲った後、嘉永2(1849)年5月28日に、新しく東出丸(現在の桜木町一帯)に千歳(ちとせ)御殿を築城しました。利保は千歳御殿に移り、桜を多く植えて風致を添えたので千歳桜と呼ばれました。後代、桜が老化したので、昭和9年、風雅会が35周年を記念してこの碑を建て新しく松川の堤に桜の植樹をおこなったので県下でも有数の桜の名所になっています(「千歳桜の碑石」案内板より)

▼「千歳桜の碑石」は、松川茶屋(遊覧船乗り場)の後ろにあります。
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▼磯部の桜並木と解説板

 

【松川べりの桜の本数について】

松川上流の磯部の布瀬橋から、いたち川との合流点の少し下流の宮下橋までの延べ3.9km(右岸側と左岸側の桜のある部分の距離の合計)にわたり、530本の桜が植えられている。
令和3年にナンバリングし直して、本数を数え直した。
なお、20年程前に確認していた本数は460本(当Webサイトでこれまで採用してきた本数)で、その後少し増えて470本になっていた。
平成20年頃に、布瀬公園横の松川沿いに60本程、桜が植樹されて、470+60=530本になったとのこと。

(2022/6/29 富山市公園緑地課に確認)