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 江戸時代から明治半ばにかけて、神通川(松川)といたち川の合流点付近は、『木町の浜』と呼ばれ、下流の東岩瀬湊(加賀藩領)までの2里(約8㎞)は、白帆を張った四十石積(約7200ℓ)の舟が絶えず航行しました。
 『木町』という名前がつけられたのは、上流の飛騨国等から川流しされた木材を引き揚げて貯蔵し、東岩瀬湊を経由して北前船で大坂(現在の大阪)へ回送する木材集散地であったため。ノーベル賞を受賞した田中耕一さんの実家はすぐ近くの新川原町ですが、父親はのこぎりの目立て※職人でした。
 木町の浜からは、近くの木町蔵などから大坂へ向けて米も積み出された他、能登塩など様々なものが運ばれてきていました。
※目立て…鈍くなった切刃を鋭くすること。