千歳ヶ浜観音堂

松川茶屋(松川遊覧船のりば)後ろにある観音堂です。


 

千歳桜の碑石

松川茶屋(松川遊覧船のりば)後ろにある碑石です。

 

富山城(富山市郷土博物館)

富山城は、昭和29年に戦災復興事業の完了を機に開催された、富山産業大博覧会の記念建築物として建設されました。平成17年11月、中世以来の富山城の歴史を紹介する博物館としてリニューアルオープン。また、建設から50年目にあたる平成16年には、富山市のシンボルとして、戦災復興期を代表する建築物として、国の登録有形文化財に登録されています。






 

城址公園内にある富山藩2代藩主・前田正甫公の銅像

越中富山の薬売り「売薬さん」を広めたお殿様です。江戸城腹痛事件が有名ですね。
天気のいい日は、近くの芝生広場の大きなプラタナスの木の下から立山連峰・剱岳がのぞめます。
富山藩2代藩主 前田正甫(まさとし)公の銅像
正甫公についての説明板

 

日本庭園(2015年完成)

富山城址公園の日本庭園の滝


▲千歳御門を遠くに見ながら。


▲富山市佐藤記念美術館と

 

親水のにわ

1989年(平成元年)4月に開園。(記事へリンク


 

千歳御殿の正門

富山藩(加賀藩の支藩)の隠居したお殿様の御殿にあった門です。
「東大の赤門」(旧加賀屋敷御守殿門)と同一の建築様式です。
詳細リンク

千歳御殿の正門
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▲すぐそばに富山まちなか観光案内所があります。

 

船橋常夜灯(左岸側、右岸側)

北陸街道が旧神通川を渡るため、小型の木舟を並べてその上に板を渡した船橋が架けられていました。人々や馬は、この船橋をわたって、富山城下に入りました。この船橋の両岸には常夜灯が置かれ、一晩中明かりが灯されていました。夜道の安全のための道しるべでした。現在でも、寛政11年(1799年)に富山町の町年寄・内山権左衛門逸経により寄進された2基の常夜灯が、富山市舟橋北町4丁目4-18(左岸側。富山県森林水産会館前)と、富山市丸の内1丁目1-4地先(右岸側。舟橋たもと)に残されています。
詳しくは、こちら

 

高志の国文学館

富山県ゆかりの作家や作品の魅力を幅広く発信。(リンク
小さな道路をはさみ、松川と隣接しています。晴れた日の朝、ここから見る松川は大変美しいですよ。

松川の上流の美しい景色

 

滝廉太郎少年像

滝廉太郎が小学校低学年の頃、ここにあった小学校に通ったことから。
「富山で感性を育んだ滝廉太郎」(リンク


 

松川べり彫刻公園

松川べり彫刻公園の案内図

松川べり彫刻公園の銅像

 

越中万葉の歌碑・歌石板

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富山市役所展望塔

地上70mから360度の大パノラマを楽しめます。
晴れた日には、立山連峰ものぞめます!(立山あおぐ特等席に指定)
※下記の写真は呉羽山から
入場無料!もちろん、土日祝日もOK!
詳しくは、こちら




 

富山県庁本館

富山城本丸跡にあった旧県庁舎が1930年(昭和5年)の火災により焼失したため、1935年(昭和10年)に、神通川廃川地に建設されました。国会議事堂を設計した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦の指導(設計顧問)のもと、招聘された臨時県庁舎建築課長で営繕技師の増田八郎が工事監督をおこないました。2015年(平成27年)、国登録有形文化財に登録されました。

 

翁久允(おきな・きゅういん)胸像



富山県立山町出身のジャーナリスト、翁久允氏の胸像が、富山市役所前の池のそばにあります。(リンク


▲2020年初頭前半頃までは旧富山市立図書館本館前にありました。

 

松川といたち川の合流点

神通川が流れていた頃、ここに川湊「木町の浜」がありました。
なお、ここから、いたち川(旧神通川)を下ると、環水公園横に到着します。(リンク





 

磯部の堤(磯部のさくら)

松川上流の落ち着いた散歩道です。


 

翁久允(おきな・きゅういん)旧宅、早百合観音祠堂(しどう)

富山県立山町出身のジャーナリスト・翁久允氏の旧宅です。

 

いたち川・延命地蔵尊の霊水

少し離れますが、松川といたち川の合流点から、いたち川をさかのぼった場所にあります。立山連峰の伏流水。万病に効くと言われています。(リンク
ここへ行くには?城址公園、松川、いたち川、中心市街地(商店街)をめぐる約4キロの散歩コースがおすすめ。(リンク